私は常々、自分が急逝しても家族が有価証券を簡単に引き継げるように、ポートフォリオのシンプル化に拘っております。
そのことに関してツイッターのフォロワーさんから、
「ぐっすり眠れるように投資せよ」より「永眠しても大丈夫なように
投資せよ」ですね(笑)
という言葉を頂きました。
ご本人は冗談交じりだったのかもしれませんが、「永眠しても大丈夫なように投資せよ」は、今まで「拘り」という単語でしか表現できなかった私の投資哲学を、文才の無い私に代わって言葉で表現してもらえた事に感銘しました。
今回は私がなぜ「永眠しても大丈夫なように投資せよ」の考えに至ったかを、お伝えしたいと思います。
私がポートフォリオのシンプル化に拘った最初のきっかけは下記記事の通り、自分のブログの為に個別ポートフォリオを組んでる事に気づき、世帯全体として資産形成を行う事が大事だと思ったからです。。。
www.oyagakoniosieyou-fosterassets.com
それから時が経ち、世帯での資産形成の重要性・・・「永眠しても大丈夫なように投資せよ」の考えに辿りついたのは、2年前に亡くなった母の葬儀に対応した時です。
今回の記事を思いついた時に先日、人気ブロガーの つみたて次郎さんが、「自分が亡くなった場合に財産をどうしたいのか?」をテーマに記事を書かれていましたので、御紹介も兼ねて添付します。
つみたて次郎さんの理想としては、「財産と残り寿命から逆算して亡くなると同時に資産がゼロ」だそうです。
命の最後の一滴とお金が同時に消える・・・まさに理想な形です。憧れます。
しかしそれは中々難しく、人が寿命で無くなる前に事故・事件・不意な病気による急逝があるのも事実です。。
私はつみたて次郎さんと考え方が異なりますが、つみたて次郎さんの思想・考えを否定する気は全くありません。
あくまでも私の人生体験から、私なりの考えを伝えさせていただきます。
私の母が2年前に亡くなった際、その病名は くも膜下出血でした。
ちなみに母は他界する年の健康診断では結果オールAの健康優良児で、持病などもありませんでした。
しかし父が仕事から帰宅した時に、母は寝室で掃除中に倒れた様な感じで亡くなっていましたので、誰も母の最期を見届けた者はいません。
父からあまりにもの急な知らせで最初は、親族ぐるみで私を騙そうとしてるのかと思いました。カレンダーを見ても4月1日ではなく、少し肌寒くなった秋の夜の出来事です。
・・・そらそう思いますよ。
なぜなら母が急逝する2週間前に、俺は妹の結婚式に皆で列席し、酒を飲み、祝い、伊丹空港で「また年末に~☆」とバイバイしてから2週間後の出来事でした。
伊丹空港で孫娘との別れを名残惜しそうにしてた母に、俺は笑いながら手を振ったのが最後。その2週間後、母はもう二度と笑ってくれない人になっていました。
そしていざ葬儀の準備が始まると家のことを全て母に頼っていた父は、家のお金・通帳・実印・土地の権利書等の超貴重品が、何所にあるのかもしりませんでした。
幸い私と妹は生前の母が使っていた貴重品入れを知っており、それがどこに保管してあるのかもすぐに分かったので、何とかなりました。
しかし、これが不動産や株式等の有価証券だったらどうでしょう?
きしやん家のケースで考えると、私が少々投資の知識があるから対応できるでしょうが、他界した本人以外の身内が誰一人として投資の知識がないと、大混乱です。
それを基に書いたのが、下記記事です。
www.oyagakoniosieyou-fosterassets.com
私が死んだら肉体は火葬され、残るのは骨だけ。
しかし、世帯全体で築いた資産に自分の意志を入れ・伝えるだけで、遺せる物ができます。
仮に私が来週急逝しても、妻には残された遺産で子供が大人になるまで育ててもらわないといけません。
急に残されて、困るのは家族です。
投資家としてコンマ数%の手数料・リターンに拘るのも大切ですが、自分が明日の朝に永眠しても大丈夫なように運用することは、コンマ数%の手数料・リターンを上回るより、効果が大きいことだと思っています。
誰もが私のように悲観的な考え方を持つ必要はありませんが、母の三回忌で大阪に帰省したので、今回はこの様な しみったれた内容の記事を書かせていただきました。
運用スタイル・目標は人それぞれであって、たまたま きしやんという人間は、「永眠しても大丈夫なように運用しよう」そう思っているだけになります。
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